今日の伝票 整理付かず(過去の番外編)

「今日の伝票」に書き入れなかったものを書きます

2005年
11/23家庭で使える電気知識
11/13お風呂三昧
10/21地震について
10/2視力回復体操!
9/18月の不思議さを中秋の名月にあてて。月は不思議だー
9/5真白き富士の峯
8/26江戸木遣り
8/25台風の思い出
8/15いろいろなお盆の思い出
8/14お盆に思う祖父のこと
8/14お盆でビッグビジネスをした人
8/9私の大好きな長崎のこと
8/7音だけの花火はつらいっす
2006年
5/6勢いづく春
3/21お彼岸
2/5節分〜豆撒きとイワシの頭と恵方巻
1/27誰でも綺麗になれる!心のケアー
1/26立ち食い蕎麦
1/14家庭で使える電球の知識
1/7七草粥

2006.5.6(SAT)

「勢いづく春」

今日は、伝票に書ききれない、載せきれない話題です。
いろいろな花や植物の成長が見られましたのでまとめて載せます。

裏庭にいくと、ほーら、茗荷の芽がでています。
これが大きく育ち、そのうちこの周辺からまた芽のようなものが出てきます。
それが大きくなると花ですが、その一歩手前で採ると大好きな茗荷として食べられます。
秋以降、枯れ、そのまま放っておくと、春になって、こうしていつの間にか増えて、どんどん芽を出すんです。
なんでも手はかけないほうがいいと聞きました。
まったく、 たくましいです。

 

こちらは、紫式部です。
紫式部のページでもお伝えしたように、秋には紫の花のあと、紫の小さな玉のような実をつけ、綺麗ですが、大きくてちょっと邪魔になってきました。
冬になって、実が落ちたところで一気に根元付近から切ってしまいます。
すると、このように葉っぱがまたまた出てきて、これが不どんどん伸びて1m以上になります。
春の息吹です。
しかし、えらいですね。

久留米つつじの中の紫の霧島つつじです。
ですが、花が2つしか咲きませんでした。

・・・原因は・・・?

昨年はもう少し咲いたのですが・・・。2年続けて咲きが悪いと言うことは、日当たりでしょうか?土は悪くないと思うのですが・・・。
つつじは、もともと強い植物ですので、そう難しくはないと言います。

考えられるのは、葉の剪定の時期が遅かった?う〜ん、確か6月に行ったはずなんだけど・・・。
今年は剪定しないでおこうと思います。

種をまき、花が咲いた矢車菊です。

私によって勝手に月見草なんて命名されていました。無知です・・・。

写真の右にちらっと映っているのは、アジサイです。
これは昨年夏にとあるところから、ちょっと失敬してきたもので、ちゃんと葉が出て、今15cmくらいに育ったものが4本。今年は花は咲かないでしょうが、来年に期待です。

ラストは、先日も伝票の中に書いた、ひなげし畑です。

あまりにもりっぱなのでここにも載せます。

こういう風景が、昔はたくさんありました。
でも今はたまに見ると感動するくらいに、少ない風景になってしまったのです。
こういう風景をたくさんたくさん残したいものです。

この付近には、別に蓮華畑(花はありませんが)もありました。恐らく蓮華が終わったあとに土を耕し、自然の持つ驚異の肥やしとするためでしょう。

ちなみにここは茨城県野木町です。

 

2006.3.21(TUE)

「お彼岸」

お彼岸。日本人の祖先を大事にする重要な行事の日です。
ご存知のように、お彼岸は春、秋の2回。 「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますよね。

彼岸とは、もともとは煩悩を脱した悟りの境地をさし、それに対し、煩悩や迷いだらけのこちら側の地を「此岸」と言います。これが転じて、あちら側の岸、つまり極楽浄土の地を彼岸、それに対し現在の岸、つまりこちらの岸を「此岸」と捉えるようになりました。
もともと、極楽浄土は西(太陽が沈む方)の遥か彼方にあるとされ、その地に思いをはせ、崇拝したことが始まりですが、いつしかそれが祖先を祀ることへと変わっていきました。
春、秋ともその中日をそれぞれ「春分の日」「秋分の日」、その前後3日を加え、各7日間がその期間とされています。

ご存知のようにその中日である「春分の日」「秋分の日」は、国民の祝日です。
これは、天文学的に計算された日として前年2月に閣議決定されるのですが、天文学により決定される国民の休日は世界でも珍しいものです。
この日は、昼と夜の時間がほぼ一緒になります(実際には昼の方が若干長い)。ということは、正午に太陽が頂点に達するということでもあります。
この日、南極点や北極点では、どんな風に太陽が見えるか想像してみてください。 (答えは最後に!)

ところで昼間とはいつからいつまでなのでしょうか?
調べてみると日出から日没までを昼と定義されています。その反対が夜です。
日出と日没は、太陽の上端が地平線と一致した時点をいいます。
そのため、実際には昼の方が若干長くなるのです。

「春分」や「秋分」と同じような言葉に「夏至」「冬至」「立夏」「立冬」「大寒」「啓蟄」などがあります。
太陽の1年間の動きを24等分した二十四節気のひとつで、季節を表す言葉となっています。

お彼岸には、「おはぎ」を食べます。
別名「ぼたもち」。
同じものですが、ぼたんが咲く頃なので春のお彼岸では「ぼたもち」、萩の花が咲く頃なので秋のお彼岸では「おはぎ」と言います。

諸外国でもこの日は重要な日とされている国もあります。
ヨーロッパのいくつかの国では、春分から春と考えます。
またキリスト教の復活祭は、春分後最初の満月の次の日曜日と定めています。

さて、みなさんはご先祖にどんな思いをはせたのでしょうか?

最後に南極点や北極点での今日の太陽の見え方の正解です。
地平線すれすれを水平に移動します。つまり、太陽が昇らず、沈まない日です。

 

2006.2.5(SUN)

「節分〜豆撒きとイワシの頭と恵方巻」

節分にちなんで節分に関するウンチクです。

節分は、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで、季節を分けるという意味合いから来ています。近年では、立春の前日(2月3日ごろ)のことを指すようになりました。

もともと節分の行事は宮中での年中行事で、宮中ではこの日、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾ったものでした。この行事は「鬼を払う」というもの。その起源は平安時代頃から行われている「追儺(ついな)」というものです。 これは、中国から輸入された行事で、平安時代の初期から行われている鬼払いの儀式。大晦日に行なわれる宮中の重要な年中行事で、世のあらゆる災いや不満を擬装鬼に対し石を投げつけその災いを払うというものです。
一方で寺社が行なう邪気払いの豆打ちの儀式があります。
この2つの儀式がやがて融合して現在の豆撒きになったようです。

その背景には、平安時代の現実があります。優雅な時代と称される平安時代ですが、実際に優雅であったのは貴族や皇室、一部の武将だけで、国民のほぼ全員が貧窮していた時代です。この儀式では、鬼の役(擬装鬼)の多くは力の弱い者達の中から選ばれ、当時市民は差別・貧困あらゆるものへの憎悪を込めて石を投げ付け、災厄をはらうと共に束の間の憂いさをはらしたようです。この貧困の差は江戸時代まで続いていきます。
やがてそんな年中行事が廃れ、今のような形になりました。
一般的には、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立て(鬼が嫌うものなので家に入らないようにするため)、豆撒き(石からの変化)、特に関西地方では太巻きをよい方向に向かって食べるなどの習慣があります。
どれもを季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていて、それを追い払うための儀式であるのです。

地域によって様々な儀式があります。
戸口に立てるものも
・柊の枝に鰯の頭を刺したもの
・縄に柊やイワシの頭を付けたもの

豆撒き(邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合い)
・炒った大豆を掛け声とともに撒き、撒かれた豆を自分の数え年の数食べる
・炒った豆を神棚に供えてから撒く
・豆撒きのあと、紙に包んで願い事をした後、後に放り投げる

豆撒きの掛け声
・「鬼は外、福は内」
・鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方位避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼は内」
・「鬼は内、福は外」
・「福は内」のみ
・「福は内、鬼も内」
・「鬼は内」のみ
・「福は内、鬼は内、悪魔は外」
・「鬼」の付く姓(鬼塚、鬼頭など)の家で「鬼は内」の掛け声が多い
・掛け声のあと、別の言葉を掛ける

小学校では5年生が年男・年女にあたるため、5年生が中心となって豆まきの行事を行っているところも多くみられます。
最近では、豆が大豆から落花生に変化していることも多いようです。これも時代の変化でしょうか。

また最近は、節分には太巻きを食べるというのが全国的になってきているようです。 これは、「恵方巻」と言って節分の夜にその年の恵方(歳徳神=その年の福徳を司る吉神の在する方位)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら太巻きをまるかじり、しかも食べている間は無言でなければならないというものです。
七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、伊達巻、うなぎ、でんぶ等七種類の具を入れて、福を食べる、福を巻き込むという意味合いの食べ物だそうです。

江戸時代末期から明治時代初期。大阪・船場の商人による商売繁盛の祈願事として大々的に始めたといわれています。当時使われていた旧暦では、立春の前日である節分の日は大晦日にあたったため、前年の災いを払うための厄落とし、年越しの行事として行われていました。このような食べ方は、全国的にあり、正月やおめでたい席に太巻きを出す地域は少なくありません。
また豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が、節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説やその他にも恵方巻の発祥地の候補には、和歌山(紀州)、滋賀(近江)等があります。もっと古くから行われていたという説もあります。明治時代に一旦廃れしまいましたが、その間も伝承されていた家庭も少なくないようです。1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事で完全復活しました。

さらに今や全国的に恵方巻は有名ですが、この全国販売はセブンイレブンが先駆けで、1989年に広島県の加盟店オーナーの発案により販売を開始したところヒット。中国、関西、九州地方での販売を経て、1998年にコンビニ初の恵方巻全国販売を開始しました。このヒットを受けてローソンが2001年より、ファミリーマートが2003年より全国販売を開始し、03〜04年を境にして主要コンビニで全国販売が行われることとなりました。その影響で、コンビニだけでなくスーパーやデパートなどでも販売されるようになったものです。
と、実は全国的に知られるようになったのはかなり最近のことです。
この販売図式は、ちょうどバレンタインデーやホワイトデー、クリスマスケーキ商戦などと似ているところがありますね。

 

2006.1.27(FRI)

「誰でも綺麗になれる!心のケアー」

誰でも出来る簡単心理学。役に立つ心理学です。

人の心はとても繊細かつある意味単純です。しかし、それだけに影響も大きい。
まず、大前提は、心には人称代名詞がありません。それを読み取る力はありません。心はその人自身のものですのでその人だけのものです。つまり心に返ってくるすべてのものは自分なのです。

例えば、人に対して「○○さんが悪いんだ!」と言いますと、心には人称代名詞がありませんから、心に響いてくるのは「悪い」という言葉です。誰がというとそれは自分と判断します。特に口に出して言ったことの影響力は非常に大きい。
ですからいつも人のせいばかりにしている人はどんどん自分が実は追い込まれていくのです。
しかし、人間は自分が一番ですから、当然自分は悪くないのだという別の心の声が作用して、反発しあい、結果的にその人は卑屈な人になっていきます。

目の前の人を指差して「お前が悪い!」と言ってみてください。
人差し指は相手を差しています。しかし、親指以外の他の指は、明らかに自分に向かっています。
他人に1、自分には3 。これが心への反響だと言われています。だから指を差してはいけません。

反対にこの単純な心をうまく利用すると綺麗になれます。
鏡に向かって1日1回。1ヶ月で効果抜群!
方法は簡単です。
鏡を見て、自分の顔をよく見て!
そして声に出して言ってください。「もっと綺麗になりたい」と。
1ヶ月後、絶対に効果あります。
綺麗だけでなく、それはさまざまなところで使えますのでお試しください。
例えば、自信がない人。「自分は出来る!」といえばいい。

よく新人のタレントさんがしばらくすると急に綺麗になったりします。お化粧法が変わることもあるのですが、人から見られている意識ともっとこうなりたいという意識が働くからです。

恋をすると綺麗になるのも本当です。同じ原理です。

化粧品よりも整形よりも鏡と声があれば大丈夫!

最後に一つ。自分の心は自分だけのものです。
だから嘘はつけないのです。自分をどんなに言い聞かせても無駄な抵抗です。
嘘をついてはいけません。必ず弊害が生まれます。
自分に対する言い訳をすることで自分は悪くないのだと主張する若者が増えていますが、最後は自分に返ってきます。
そして、自分の心が望んでいることをかなえてあげられるもその人自身だけです。

心を大切にしてあげましょう。

 

2006.1.21(SAT)

「立ち食い蕎麦」

私は駅の、というか駅に限らず立ち食い蕎麦が大好きです。
最近は駅でもホームでも椅子とテーブルがある店も増えてます。高速道路のSAやPAでも好きです。ようは、あの感じが好きなのです。

JRの場合、路線によっていわゆるチェーン展開しています。「あじさい」「あずみ野」など、例えば小田急ですと「箱根そば」とか、その他いろいろですが、同じ店の名前であっても、店によって味は違います。
大してお腹が空いているわけでもないのについつい、食べてしまいます。
とあるチェーン店では、うどんを頼むと「関西ですか?」と聞かれます。張り紙があります。《蕎麦は関東風、うどんは関西風の汁でお出ししています》
客とのトラブルを避けるためでしょう、「うどん」を頼むと必ず、定員が聞くのです。「関西ですか?」

この聞き方は変です。いつか本当に関西出身の方がいらっしゃって「なんや、関西って?」とお聞きになるのではないかと。実際に何のことだかわからずに聞かれる方がおります。
すると「関西風のお出汁が利いたお汁にしますか?」と言います。
以前は汁の種類がなく、店の工夫として始まった頃は、「関西風で出してますがよろしいでしょうか?」と聞いていました。ところが今は「関西ですか?」もっと短く「関西?」と。
ほんとに困った聞き方です。はずかしいです。関西の方に申し訳ない。東京だから関西風にした汁で出している。特別にそうしてやっているんだと聞こえます。で、内容は別に本当に昆布中心の出汁を使うわけでもないのでしょう(関西の出汁は東京の出汁と違って、昆布出汁が中心ですから) 。単に醤油薄め、あとは塩で味を整えているだけ。実際に食べましたが、ぜんぜんコクがなく、単に薄いだけでした。

ちゃんと「関西風」って言ってくださいよ〜。もっとも「〜〜風」というのも相手を馬鹿にしている言葉なんですがね。

今日、郡山駅構内で帰り掛けに食べました。
正直に言って、麺は蕎麦とは言いがたい!灰色した炭水化物系練り物っぽいです。でもこの店、時間帯から空いていたせいもあるのでしょうか、天婦羅系は注文が入ってから揚げるんです。私は基本的には種ものは食べず、かけ蕎麦かもり蕎麦です。他のお客さんが食べている姿からその様子を伺ったのです。
蕎麦はかなり×でしたが、汁が素晴らしかったんです。当然、関西風?なんて聞きません。郡山ですから真っ黒くろすけです。でも味は最高でした。出汁の香りが生きていますという感じ。

実は昼に食べたのも蕎麦。やたら手打ち、手打ちと書いてある店で、その手打ち蕎麦に丼物がついたセットを別の店で食べたのですが、これは蕎麦はそれなりにおいしいのでしょう、ゆですぎていなければ(おいおい!バイトのねーちゃん!店員同士でしゃべってばかりいるから、ゆですぎたんだって!)。でも汁がダメです。出汁の香りがしません。そのくせ、値段は結構いいものでした。

難しいです。おいしい蕎麦、おいしい汁。揃っているところは少ないです。しかも値段が高くなくて!(神田のやぶ蕎麦。確かに有名ですが、高すぎ!何で3口しかないせいろが1200円もするの???こちとら江戸っ子よ!1分で食べ終わっちまう!つまんね〜)

そうそう、立ち食い蕎麦屋の蕎麦がなぜコシがないかというと、日持ちさせるために小麦粉を多く入れているからです。
よくいう二八蕎麦。これは、つなぎの小麦粉などが2、そば粉が8です。十割蕎麦というと、つなぎに小麦粉を使いません。だからぼろぼろしてしまいます。本当はこれが好きです。立ち食い蕎麦は、大体、小麦粉5〜7、そば粉5〜3の割合。だから蕎麦の味でもなんでもなく、お腹もそれなりにいっぱいになるのでした。

今日の汁は、これまでの経験で1位〜2位に入ります。

私の地元の駅に最近出来た、あたらしい立ち食いそばや。スープは機械でいれます。そばを器に入れてそれを冷水機のような機械の下にセット。ボタンを押すと決まった量の汁が出てきて、それを「お待たせしました」と出してくれますが、おいしく感じることができませんでした。

そのうち、おいしい立ち食い系蕎麦屋ランキングでもしましょうか?
ちなみに総合第1位は、有名店ですが、東京メトロ東西線の西葛西駅のガード下、道路に面したところにある立ち食い蕎麦屋です。そば、汁ともにGOODです。いつでも混んでいて歩道で食べなければなりませんが。

 

2006.1.14(SAT)

「家庭で使える電球の知識」

電球にもいろいろな種類があります。
形状からの種類は誰もが知っていること。・・・というより、それが判らないと交換する時、お店に買いにいけません。

そういう種類ではなく、もっと快適に灯りと生活を密着させる知識です。

1.長持ちさせた〜い

電球1個だって大切な資源。しかも買いに行くのですから、少しでも長持ちしていいものをと思いますよね、奥様!(・・・と、通販口調)

はい!そこで!!
通常の白熱電球を買う際に100V○Wというのをお買い求めになると思います。これが規定品です。
それを110V○W(○はもともと提示されているW数)にしてみてください。
長持ちします。但し、100V用に比べると若干高め(量産数が違うため)であることとやや暗めです。
特に効果的なのは20Wを使用する電球。その典型は玄関先の電気。これって意外に切れやすくありませんか?
実は電球に使用されている真ん中の光を出す線=フィラメントが、20Wの場合、極端に細いためなのです。そこで110V!110Vの場合、電気の圧力が10V多く掛かることを前提に作られているので細くない。だから弱くないのです。しかも100Vしか流れていない電気に対して110V流れてきて動くように作られた電気器具なので特に問題はありません(逆だったら燃えるか、爆発です)。
*これは電球だからできることであって、精密機器の場合はもっと微妙なのでやめましょう。


2.明るくした〜い、落ち着かせた〜い

次に同じW数の電球で明るく感じる電球を使う方法!

光には強さ=明るさがあります。その明るさは単に数値が大きければ明るいというものでもありません。なぜならば、人間の目は明るさ=光の色に反応する性質があるからです。
しかし、映像物、特にレンズの目はそうはいきません。確実に光を明るさ(明度)で捉えます。
そこで使われるのがケルビンという単位で表わされるもの。しかもこれには色が関連しています。

簡単にいうと色度数というのがあって、その度数ケルビンが多ければ多いほど、青みがかって感じられ、同時に明るく感じます。青っぽいといっても実際には白っぽいと感じるでしょうか。
例えば、稲妻の発光。これは遠くにあっても非常に明るく見えます。昼間でも見えます。明るく感じるからです。

電球にもその特製を利用したものが沢山あります。

例えば、蛍光灯。
ある商品には、ダイニングルーム用、リビング用、寝室用と3種類が用意されています。これは青っぽい灯りからオレンジっぽい灯りへの3種類です。メーカーによってその状態はさまざまです。ダイニング用をあえてオレンジ色っぽい方にしている場合もあります。
明確に言えるのは、書斎、勉強部屋。これは明るい方がいい。したがって青っぽいもの。 逆に寝室はそんなに明るかったら落ち着きませんよね。
人間の光に対する感性は結構単純で、明るければ喜び、興奮、活力など、暗めであれば落ち着き、安堵、静けさなどを感じます。
トイレ。ここを100Wにするととんでもない事になりますのでぜひ実験してください。落ち着かないトイレになります。大体、通常は40Wですね。
浴室もそうです。ここの場合はむしろ今つけているものよりもW数を落としたほうが良いようです。一般的には40W〜60W(広さにもよりますが)。それを半分にすることでゆったりとリラックスした入浴となり心神的にも良いようです。


はい、そこでその見分け方と買い方です。これが本題!
例えば蛍光灯。一般によくあるのは、なんだかわからないけど適当に買って並べて付けてみたら、明るめと暗めのが並んでいるとか青っぽいのとオレンジっぽいのが並んだなんて経験ありませんか?
よく比べてください。蛍光灯の端っこに記載されています。青っぽいと感じるものには3000、30とか3200、32などの数字がどこかにあります。オレンジっぽいものには、2800、28なんて書いてあります。

正式には3200°Kなのですが、この数値が高くなればなるほど、青っぽくなり、同時に明るい感じになります(白熱電球でも同じことです)。

現在、一つのブームでしょうか、「癒し」というものがあり、オレンジっぽい灯りのほうが落ち着くため、そういう名目で売り出されているものもかなりあります。

お買い求めの際は、そこを良くみてください。

*注意!
指定されているW数以上を使用するのは危険なことがあります。逆に表示よりも低いW数の電球を使用することは、全く問題はありません。もちろん暗くなることが前提です。


最後に余談。
電球が切れたとき、そのままスイッチONの状態のままにして電球をすばやく振ってみてください。タイミングがうまくあえば、中で切れている線(フィラメント)がその振動によってくっつき、復活します。この方法は大きな電力を持つ電球ほど有効(つまりその線が太いからね)です。
実際に映画の照明では、5Kw(5000W)とか10Kw(100000W)とかを使っているので想像以上に電球は高価なのです。 映画の照明さんはこんな風にして経費を抑えています。
コツはゆっくり動かすのではなく、振動で揺れるようにすばやく揺らすことです。
但し、永久ではありません。その後しばらくすると確実に切れます。
結構この技は、我が家で使ってます。ただし、蛍光灯には使えません。なぜなら蛍光灯の中には線がありませんから。

 

2006.1.7(SAT)

「七草粥」

正月7日は七草粥を食べる習慣があります。
邪気を払い万病を除くという言い伝えとともに、野菜不足になりがちなこの時期に野菜と消化の良い粥を食べて、おせち料理で疲れた胃腸を整えるという一石二鳥の先人の智恵ですが、今日はこのウンチクを!

七草粥を食べる習慣は平安時代にすでにありましたが、一般的には江戸時代。それも将軍以下すべての武士が食べるという一大儀式だったこともあったようです。

本来正月とは元旦から7日までを差します。別名松の内とか松七日とも。松飾もここまでです。正式には6日の夜には、取るのだそうです。

もともと五節句という節目があります。 人日(じんじつ=1月7日、七草)、 上巳(じょうし/じょうみ=3月3日、桃の節句、雛祭り)、端午(たんご= 5月5日、菖蒲の節句)、七夕(しちせき/たなばた=7月7日、たなばた、星祭り)、重陽(ちょうよう=9月9日、菊の節句)。中国の暦から伝わったものです。それぞれ植物や季節を表わす情景から来ています。江戸時代に幕府が制定し、公式行事ややがて祝日にしていきました。
が、この中で1月7日だけが月と日が同じでもなく、他とはちょっと違うようです。

古来中国では、正月1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3日を猪の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日として、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていました。
そして、7日を人の日(人日)とし、犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていたのです。また、この日には7種類の野菜(七草)を入れたスープ状のものを食べる習慣があって、これが日本に伝わって七種粥となったようです。
ちなみに七草粥は、正式には七種粥と書きます。
さらに、この日は新年になって初めて爪を切る日ともされていて、七種を浸した水に爪をつけて、柔かくしてから切ると、その年は風邪をひかないと言われています。

ここで粥に入れる七種とは、せり、なずな(ぺんぺん草)、ごぎょう(母子草、ははこぐさ)、はこべら(はこべ)、ほとけのざ(こおにたびらこ)、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)。これを春の七草と言います。 6日の昼にこれらの食材を取り、夜に刻み、翌朝粥に入れて食べるのが正式とか。

一方で秋の七草もあります。萩(はぎ)、尾花(おばな、すすき)、葛(くず)、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、桔梗(ききょう)です。しかし、これは食べずに観賞用です。

いかがですか?たまには先人の思いにそっと想いをめぐらせ、七草粥で落ち着いてみては。

 

2005.11.23(WEN)

「家庭で使える電気知識」

電気の話です。といってもフレミングの法則も難しいことも出てこない、簡単電気知識、家庭でもこれがわかれば便利ってな内容です。

家で電子レンジにおかずをチンしながら、同時にオーブントースターでパン焼いて、お湯が足りなくなったので湯沸しポットにお水足して・・・そしたら突然電気がパッと消えた!あわててブレーカーのスイッチをONにしなおして・・・なんて経験ありませんか?
ドライヤーで髪の毛乾かして、強力ターボのスイッチ入れたら、やはり消えたり・・・。
電気の焼肉プレートを使う時はコタツのスイッチは消すような習慣になっている家庭も少なくないはず。
これらは、電気の使用容量をオーバーすることによって起こります。これは安全対策なんです。

じゃー、何と何を同時に使うと駄目なのか。普段の生活の中で、それは経験として知っています。
でも新製品が来るとちょっと不安・・・・。

ならば、ちゃんとそれが判るようにしてみましょうかね。それも簡単な方法で。

電気製品には、必ずどこかにその製品に関する電気をどう使っているかが表示されています。見てみて!
電気使用量とか最大電気消費量とか・・・。単位にいうとWとかAとか書いてある、それが大事です。


では、はじまり〜!

たとえば、「家の電気は15アンペアしかないの。だからドライヤー使う時、エアコン消さないと絶対に駄目なんだ〜」なんていうので実際に見てみるとドライヤーには1200W、エアコンには8.5Aなんて書いてある。それが何で15アンペアだと駄目なんだ???

電気は、回路の中を流れていろいろな仕事をするものです。回路って言うのは入口から入ってずーっと繋がって出口に出て行ってそれがまた入口に繋がっているもの。
家庭では、コンセントの一方の穴から流れていって電化製品の中を通ってもう一方の口に戻ってきていると考えればいい。

そこの中で仕事をする電気だけど、どのくらいの力を出して仕事をするかを表わしたものがWと書かれた「ワット(Wattの頭文字)」=電力です。受験生諸君にはPという表示で覚えさせられるはず(PはPowerの頭文字だよ) 。つまり100Wの電球とは100Wのエネルギーで仕事をする電球と言う意味。だからこの値が大きいほど明るい電球ということになるよね。

回路の中を流れている電気そのものを電流といって、どれくらいの量の電気が流れているかを表わすのに使われるのがAと書かれた「アンペア」受験生諸君は「I」で表記するね。沢山の電流が流れていると当然その仕事もしやすくなるのだから仕事量が増える、つまりW数も増えるわけ。

このWとAは、別々の表記だけれど、置き換えることができるんだ。それは、またあとで。

もうひとつ、電気の話で忘れちゃいけないのが、V「ボルト」=電圧。
電圧とは、電気にかけている圧力のこと。例えば水道。蛇口をひねると水が勢いよく出てくる。これは水道局が機械を使って圧力をかけ勢いをつけているからだ。それと同じだと思えばいい。
でももう一つ意味があって、電圧の差を表わしたもの(電位差)が電圧。電気は電圧の大きいところから小さいところへ流れていく。もっとも小さな電圧は0。それを地上というように仮定したのが、アース。よくアース=地球。地面だから電位差がなく0ボルトと言う人がいるけど、これは嘘です。仮にそういうふうに仮定しただけ。(このあたりは受験生向け)
*ピンポーン!電化製品に「アース」がついているものがあるよね。洗濯機や電子レンジ、パソコンのモニタなどなど。これは地上とつなげる回路を作ってあげて、なにかあって不必要な電気が流れてしまう事態が起きた場合に、強制的に地上へ流してしまう方法。だから万が一に備えて、決してガス管なんかにつながないように。自殺行為です。昔は水道管が金属だったためにそこにつなぐことが多かったけど、最近は塩化ビニール管が主流で電気を通しにくいので、コンセントにアースがついている場合が多いよね。アースってそういう役割なんですよ。

ここからが本番。

WとAとVの関係を知っていれば、もうブレーカーが落ちるということもない。
あーちなみにブレーカーは、電気の回路に使われている電線に多すぎる量の電気が流れて燃えてしまわないように、制御してくれるありがたい監視役です。電気は使えば使うほど流れてきてしまう。だから制御する人が必要なんだね。いくらでも飲んでしまう旦那に「いい加減にしたら!」といってグラスを取り上げてしまう奥さんみたいなもの。

公式では、P=I・Vと習う。現実の表記では、W=A・V。つまりワット数はアンペア数にボルト数をかけたもの。

家庭用の電圧つまりボルトは100V。なので簡単!
Aと書かれた数字に100をかければW=ワットになる。
ということは、W=ワットを100で割れば、A=アンペアだ。

受験生でない、ほぼ大勢のお宅の場合、P=I・Vは無意味。現実のW=A・Vで考えましょうね。
覚え方は、ちょっと俗っぽく「アダルトビデオでワクワク!」つまり「アダルトビデオ(A・V)で(=)、ワクワク(W)。

最初の例でいえば、15Aの家で、ドライヤー1200W、エアコン8.5Aは、1500Wの家でドライヤー1200W、エアコン850Wと言い換えられる。つまり 使う電気の合計は2050Wで、当然容量オーバーでそのまま使うと電線が焼け燃えて火事になるのでブレーカーが電気を遮断して防いでくれるというわけだ。
別の言い方もできるよ。15Aの家、12Aのドライヤー、8.5Aのエアコン。

こうやって計算すれば、大丈夫。

さらにこの原理がわかっているともう一つ役立つことがある。
電球が切れてしまう。これは消耗品だから仕方ないけど、少しでももたせたいもの。そこで100V用の電球ではなく110V用の電球にしてみて。10V分大きな圧力に耐えられるように作ってあるから100V用よりも丈夫に出来ている。その代わりさっきの公式に当てはめてみるとエネルギーはその分落ちる、つまりほんの少し暗くなる。といってもそれほど気になる暗さでもない。値段は少し高くなるけど、切れる度合いは確実に長引く。これって生活の智恵で使えるよね。特にW数が少ない電球、例えば20Wなどはもともと仕事量が少ないように出来ているので極端に線が細いため、大変切れやすい。しかも頻繁にON−OFFを繰り返すものでは、そのたびに負担がかかるし、電球自体を覆って熱が逃げにくくなっている構造のものだと余計に熱によってプチンと切れてしまいます。玄関先のケースに入ったものやトイレなどに特にお勧めです。 当然我が家ではそうして使ってます。

 

2005.11.13(SUN)

「お風呂三昧」

お風呂はいいですね。
まず、大事なのはその主成分というかおおもとのお湯、つまりは水です。
しかし、今や水道水の時代。そうはいきません。
ミネラルを含む水、その最も優秀なものがいわゆる温泉ですが、この効果は決して侮れません。
私も経験がありますが、那須の温泉に行った際、たまたま擦り傷やささくれなどがありましたが、入っただけでうそのように・・・。また四十肩もちょっとした自己マッサージを併用したところ、1日で直ってしまいました。

温泉の素、我が家では欠かせません。というより、私のこだわりみたいなものです。これが家族全員振り回されているだけですが。

いろいろ試しましたが、やはり天然ものには適いません。
最近は天然硫黄の湯の花でも風呂釜を痛めず、しかも硫黄の成分によって付着した湯垢などを取ってくれるものもありますので、Goodです。
みかんの皮やゆずなどは香りが最高でしかもその抽出される油分から温まります。
もっと、温まりたい人は、生姜や唐辛子(粉末はだめよ!鷹の爪か細かく刻んだヤツでね)を入れるのもいい。但し、多く入れすぎると傷口や髭剃り痕、目、粘膜の部分(特に下半身の・・・)、男性は大事な生命の素の場所(ここの表面の皮膚には脂肪がないため、直接ピリピリきます。防ぐ方法は簡単で、手で押さえていればいい)がしみたり、ピリピリきます。でもそのくらいの方が温まります。ご安心を!体にはまったく悪影響はありません。 おすすめ!100円ショップで唐辛子の鷹の爪を購入。1袋で多分10回くらいは使えます(輪切り状態に刻んであるものでしたら20回OK。これをガーゼで包んでお風呂にボチャン!刻み生姜を入れればより効果的&香りもOK)。
匂いが気になる人は、なんでもいいですから香りの素を入れてください。この方法は、4千年の歴史、中国の漢方でも紹介されている方法です。格安&体にいい!
日本酒を入れれば温まって美肌効果あり&その香りとともに頭の中もほんわか・・・。 ヨーロッパでは、ハーブとともにワインを入れたりするのです。
塩を入れるだけでも温浴効果が高まります。但し、高血圧の人はNG。
以前紹介した贅沢な昆布風呂も・・・。かなり勇気が必要ですが。 ちなみに昆布でなくともワカメなどの根株、こちらは安く売ってますので、これを刻んで粘りを出してガーゼに包んでもOKですよ。

いずれにせよ、これらすべてお湯をはったり沸かす時から入れるのがコツ!(但し、お酒関係は入るときに)

日本では、昔からお風呂を楽しみ、健康になろうとする習慣がありました。5月の節句の菖蒲湯(菖蒲の葉には強力な殺菌作用がある)、冬至の柚子湯(温浴効果&香りによるリラックス効果=体を温め、熟睡出来て、香りでアロマテラピー)などなど。

りんごやみかん、レモン、イチゴ、メロンなどを浮かべてその香りや皮に含まれる湯成分から効果を得るものもありますし、いろいろ試してみましょう。でも結果高い値段のお風呂になっては仕方ないですが・・・。

やはり、捨ててしまう果物の皮や100円ショップなどで売られている安価な食材などを使うと経済効果も加わり、良いのではないでしょうか。

禁じ手はありません。オリジナルの入り方があったら、ぜひ「おたよりコーナー」までご一報を!

 

2005.10.21(FRI)

「地震について」

このところ、地震が来ると書き込みが増えるというか、みんなで心配してくださったり、お互いに安否を確認したりしているようでなんだかうれしい感じです!

そのコーナーにもちょっと書きましたが、はい!お待たせ!地震の話題です。(・・・と、これを書いたとたん地震が〜!なんていやですよ・・・)

地震のメカニズムに関してはあえてここで書く必要はないですよね。地球の内部はいつも動いていてそのズレが起き、元に戻ろうとした時にビヨーンと揺れるわけです。ちょうど、2枚の鉄板を真横にあわせて、両方から力を入れると湾曲し、やがてずれてビヨーンと跳ねるようになりますよね。それです。(と、結局は書いている)

現在、地震観測はそれぞれの観測所に設けられた地震計によって記録され、データが気象庁に送られていきます。当然デジタル化されていますので、自動的に行きます。
かつては、それを手動で行なっていました。紙にペンが立っていて、その紙がゆっくりと動き、地震の揺れをペン先が波形で記録するあの機械で記録し、それを観測員の判断で送っていたり、揺れの大きさを自身で判断もしていました。私の父の友人がかつて東大の地震研究所いたことがあり、よくその話は聞きました。
今は地震計ですから、観測員の判断ではありません。
ちなみに現在、地震の震度って何段階だか、ご存知でした?私も今日調べて始めて知った事実があります。
震度は、0、1、2、3、4、5弱、5強、6弱、6強、7の10種類。以前は0〜7だけだったのですが、実際に起きた地震の規模などによって改正されています。10段階の改正は、実は意外と新しく1996年10月1日のことです。
現在、震度5、震度6はありません!って知ってました?また、以前は軽震とか強震とか言っていましたが、それもやや強い地震とか強い地震などの言い方に変わってきています(震度に対する名称は今でもいきています)。
その制定以後、我が国の震度7は、記憶に新しい兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で初めて適用され、それ以降では新潟県中越地震だけです。
それぞれの根拠は揺れる大きさを機械で測り、出てくるものですから、当然数値に表すことができます。
ちなみに震度0は揺れていない状態を表すのではありません。定義としては、地震計では記録されるが、人は揺れを感じないというもので無震と言います。震度1は微震といい、地震や揺れに敏感若しくは過敏な限られた一部の人が、地震に気付く程度のものとされ、この2つの震度がもっとも多い地震です。

もう一つ、マグニチュードというのがあります。震度との違いは、発生した場所での地震のエネルギーを大きさとして表しています。実はこれにも年々さまざまな論争があり、一口にマグニチュードといってもいろいろなマグニチュードがあるんですね。現在、日本では1つの方法で決めれています。計算式もちょっと複雑・・・。

地震は震源地を中心に円を書くように広がり、震源地から遠くなればなるほど、揺れは小さくなります。しかし、時にはまったく異なった揺れ方をする地震もあります。これが地球の神秘です。また、その土地の地盤の固さや粘り性などからも異なり、理論的には円ですが、一概にそうも言えません。よくありますよね、震源地の隣よりもその3つくらい隣の町の方が大きいということが。

地震の予知は、いろいろですが、その歴史はかなり昔で、もちろん地震というメカニズム自体が判っていなかった時代では、神のたたりとか言われていました。しかし、その前兆についてはしっかり見ていたようです。今でいう地震雲や動物の異常な行動など、当時でも有名なものです。江戸時代には、そういった記録がありますし、それよりずっと以前、たとえば人間の初期などでは火山地震も多かったことでしょうから、長い長い歴史の中で作られてきた予知なのでしょう。
しかし、残念ながらそれらを否定しているのが、地震予知連絡会です。ここではデータや地殻変動などを見ていますから。なんといっても学者先生の集まりです。当然、そこでは民間の研究者はもちろんのこと、霊能者や預言者、透視能力者の存在は否定です。
もっとも、予知連絡会が予知を発表すれば、ほぼパニックになることでしょう。それが怖いため、また外れた時がもっと怖いために発表できないでいるわけです。

とは言え、やはり地震は怖いもの。逃げ場がないのが怖いですね。

先日面白い光景を見ました。
私の住んでいる市の公共施設で市民のアマチュアカメラマンがとった写真を常時入れ替え制で展示しています。
綺麗な夕焼けの写真が2枚、展示されました。その日の朝、職員によって展示入れ替えされた作品です。
その写真、どう見ても地震雲です。その日の夕方、もう一度見るとすでに他の作品に入れ替わっていました。

 

2005.10.2(SUN)

「視力回復体操!」

BBSの書き込みいただいた方のお悩みからちょっとご紹介します。
実際に私もやっていますが、結構いいかも。
特に目が疲れた時、ちょっとでも良くなるようにしたい方など、万能です。しかも費用はかかりません。
これから秋そして冬に向かってお風呂でくつろぎながら体操すればOKです。

3つの体操があります。これをすべて行なってください。体操といっても全然全身を使わないので、テレビを見ている時でも電車内でもいつでも出来ますが、人に見られているとちょっと恥ずかしいかな?

体操1

まず、深呼吸を数回。リラックスです。
両目をギュッとつぶります。まぶた全体に皺がよるくらい、ギュッと!そのときに目の玉も小さくなるようなイメージでギュッと!時間にして1〜2秒。そしてパッと目を開けます。
この繰り返し。10回。

体操2

顔のマッサージです。
順番を守って行なってください。基本は上から下に行きます。左右の手を使って、顔の左右、同時に行なってください。
@まぶたの上に目を覆っている骨があります。その一番上の真ん中、つまり眉毛の中心を親指で グーっと5秒間押します。
A目の付け根の部分(いわゆる目頭)を5秒間押します。
Bこめかみの部分を5秒間押します。
C目の下の骨の真ん中の部分(@の目の下版)を5秒間押します。
これを3回繰り返します。
押す時のコツは、ギュッ!ギュッ!と1秒間に1回の割合で押すのではなく、5秒間押し続けることです。

体操3

最後は体操らしい動きです。
ゆっくり息を吸いながら首を思いっきり水平に右に回します。出来る限り後に回します。同時に目はさらに後を見ようとしてください。
次にゆっくり息を吐きながら、ゆっくりと正面に首と目を戻します。
左を同じように行ないます。
出来るだけ、動きはゆっくりと。右左を1回として5回繰り返します。

以上、この3つを1日1回でもOKです。

この体操は、主にリンパ系を活発にすることで視力を戻すという理論に基づいた体操だそうです。
従って、今やったらすぐに回復というのではありませんが、比較的その段階でもすっきりします。
毎日、実施されることをお勧めします。1ヶ月で必ず何らかの効果がでるそうです。

私は、これを免許の書き換えの前にやり、視力検査で、前回よりも四苦八苦せずに通りました。

ぜひ、お試しください。

 

2005.9.18(SUN)

「月の不思議さを中秋の名月にあてて。月は不思議だー」

今日は中秋の名月!この頃になると中秋の名月という言葉が聞かれますが、はて中秋の名月とは?
満月は大体月に1回ありますが、なぜにこの日だけが特別扱いなのでしょうかね。この日の月だけはなにか特別なものが見えるのでしょうか。うさぎとか・・・。
ということで探究心のかたまり店主が調べてみると意外なというか、大変面白いことがわかりましたよー。では発表です!

「八月十五日」と書いて「なかあき」と読む名字の方がいらっしゃるそうです。
なかあきは中秋で、昔から八月十五日(旧暦)の月を「中秋の名月」と呼び、月をめでるとともにその秋に採れたものをお供えするという風習がありました。もともとは中国から伝わった風習です。
夏の間霞んでくっきり見えにくかった月が、秋になり澄んだ夜空。であるならば、やはり見所は満月。視界にはうっすらとススキが揺れ、秋風が頬を撫で、なんとも静かな情景ではありませんか。

旧暦では四季を3ヶ月毎に区切っています。1・2・3月は春、4・5・6月は夏、7・8・9月は秋、10・11・12月は冬。
一方それぞれの季節に属する月に「初・中(仲)・晩」の文字をつけて季節をさらに細分するのに使いました。たとえば初夏といえば旧暦の4月、晩秋といえば旧暦の9月というようにです。
ここまでくるとお分かりかと思います!中秋とは旧暦の8月をさすということです。

では、満月は?
旧暦は太陰暦、つまり日付は月齢に対応しています。従って半ばがちょうど満月になります。
そこで旧暦の8月15日に昇る満月を中秋の名月と呼ぶようになったわけです。

地域によっては「芋名月」などとも呼ばれます。秋の収穫物であり、満月同様丸いものである芋を備えたからです。今実際に行なう家庭は少ないと思いますが、よく満月にススキ、そしてその横に月見団子を備えた絵などがまさにこの季節の絵です。
この月見団子も最初は芋で、その風習の変形です。

ここで、疑問が!
現在は太陽暦です。ということは月齢と日が合いません。
その通りで、中秋の名月、つまり旧暦の8月15日は新暦(今の暦)ではだいぶ違います。ことしは9月18日ですが、来年は10月6日です。 昨年は9月28日です。月齢から見ると今年を含めて過去4年間は、ドンピシャリの満月ですが、来年は1日過ぎてしまっていますし、再来年は2日も過ぎてしまいます。

では、満月でないのに?ということになりますが、ようはお祭りのようなもの。そういう風習を楽しみ、また五穀豊穣に感謝、美しい月にひととき心静かにという時間を体験するということから考えれば旧暦8月15日でよいのではないでしょうか。

 

月に関するもっと興味深い話があります。
それは人の生死に関することです。
よく、そろそろお迎えが来そうだと言われると、次の大潮はいつだと調べる人がいます。
同様にそろそろ生まれそうだという時期になると次の大潮はいつだと調べる人がいます。
大潮とは、地球にもっとも月の引力の影響が大きい日で、新月と満月の日がそれにあたります。先日の台風でも湾岸沿いでは、ちょうど大潮にあたっていたために警戒を強めていました。場所によっては満潮時に30cmほど水位が上がります。

実際に統計で調べると確かに大潮の日の死亡率、出生率はそれ以外の日に比べ高くなっています。特に出生率では1割程度増。もっと詳しく言いますと大潮の日の1日前と3日後がもっとも多いそうです。

まだあります。ちょっとまじめな医学の話っぽくなりますが・・・。
よく赤ちゃんはお母さんのおなかの中に十月十日と言います。これはもちろん旧暦での数え方ですが、正確には最後の月経から出産までの日数ということになります。
この基礎計算は、平均妊娠期間(265.8日)で割り出します。実はこの日数、月の新月から次の新月までの日数の9倍です。この傾向は人間だけでなく、動物にも見られ(月の新月から次の新月までの日数の整数倍)、特に顕著なのはゾウだとか。また、珊瑚の放卵や海がめの産卵も満月の頃が多いと言います。
(逆に新月には、狂気にかかわることが多くなるようで、 交通事故や凶悪犯罪が多く起こることが データに出ているそうです。)
では、新月から次の新月までの日数はというと29.53日。この日数、実は女性の月経周期の平均と一致しているのです。(月経を「月のもの」
と俗語で言い表します。これは一月に一回くることから言われていますが、よく考えるとこの一月を旧暦で数えるとまさにこれです。また、かぐや姫のお話、月よりの使者とか月の者、というのも実はこれに非常に関連しているという説もあります。)
その他いろいろなことを総合して判断すると、簡単に言えば、「人間は受精した時の月齢とほぼ同じ月齢の時に産まれる」という結論になるそうです。

まだまだあります。
人間や動物には体内時計という、独自の時間周期を持っています。いつも決まった時間に目が覚めたり、自然とおなかがすいたりすることもそうです。
たとえば、外界と遮断した部屋で生活する実験をする(昼や夜の区別がつかないようにする)と、人間は睡眠・覚醒などの周期がやがて24時間50分前後で繰り返すようになると言われます。これが人間の体内時計における1日の長さです。
月の出・月の入の時刻は毎日少しずつ遅れることは日常でも体験出来ることですが、この遅れが1日に約50分前後。
どうやら、太陽の光と切り離して生活すると人間の1日は月の周期にあってしまうようです。

どうしてそのようなことが起きているのかは、まだ解明されていませんが、諸説あるようです。
いづれにしても不思議な月。
狼男も満月、ドラキュラは新月、はたしてあなたは???

 

2005.9.5(MON)

「真白き富士の峯」

9月4日の「今日の伝票」への書き込みに、何人かの方からお問い合わせやそれぞれの思い出のメールなどを頂戴しました。

そこで、もう少し詳しくお話します。
昨日の私の記述には、真相とは異なる部分もあり(記述の内容は中学当時春の社会科見学の際、バスガイドから聞いた話でした)、お詫びとともに訂正し、その実際をお伝えしたいと思います。

事件が起きたのは、1910(明治43)年1月23日。
晴天とは言っても冬の寒い北風の吹く日でした。とくに遭難のあった七里ヶ浜付近は突然突風が吹くことも多く、それが転覆の一因でした。

逗子開成中学校の生徒達による「ドウショウ(海鴨。水鳥の一種でガンカモ科)撃ち」が目的の冒険的なものであったことは、その後病床のため、参加しなかったある生徒の証言で明らかにされています。「弟達を連れて海へ鳥撃ちに行って来るよ、沢山に獲物を御馳走してやるよ」と言い残して出掛けたといいます。
船の大きさのこともあり、結果として逗子開成中学11名(14〜21歳)と逗子小学校高等科1名(10歳)、計12名の生徒達は、猟銃を積み込み、船を漕ぎ出します(最初は15名が乗り込んだが、あまりにも重過ぎたため、3名は和船に移され、この和船は速度が遅いためについていけずに引き返した)。
彼らがのった船は7名乗り。艦船に備え付けられている細身型の船でギグと呼ばれているものです。
おそらく、遭難に合った時刻は午後1時半頃。
突然の突風により、重量オーバーの船はいとも簡単に転覆し、冷たい冬の海に12人の生徒の体は放り出されました。

この船は中学にあった船をいわば無断借用し、先生の許可や同伴もなく行なわれたことで、後日その責任の所在を追及する声もあり、大きく全国に報じられました。当時の同校は、学校としても強い男子を育成する方針があり、しばしば海洋実習もあったため、生徒達はその冒険心も加えて危険なこととは思わなかったのでしょう。

午後3時頃、一人の青年がオールに掴まって七里ガ浜沖合いを漂流しているところを1艘の漁船に発見され、近くに漁港へ戻りました。海を指差したまま息を引き取ります。
その様子をたまたま通りかかった逗子開成中学の生徒により、学校及び周辺に通達し、また情報が集められ、 ことの真相がわかった次第です。
捜索本部が設けられ、22艘の漁船に180名の漁夫が分乗し付近の海域を捜索しました。その後、連合艦隊第二艇隊も加わり、4日間に渡る捜索結果、生徒達は全員遺体となって発見されたのでした。

中でも中学生徒の兄が小学生の弟をしっかりと抱いたまま発見された姿には涙が誘われ、やがてこの姿をブロンズ像としてこの事故の様子が書かれたプレートともに稲村ヶ崎公園内に立て、今も海を見ています。

2週間後の2月6日。僧侶100名を従えた追悼大法会が同校校庭で行なわれました。
その際、鎌倉女学校生徒によって歌われ、「七里ヶ浜の哀歌」、一般には「真白き富士の根」として広く知られる歌がこの歌です。
作曲はアメリカの作曲家ジェレマイア・インガルス。曲自体は、もともと彼が作曲した、「When We Arrive at Home」という賛美歌です。
そこに当時、鎌倉女学校(現、鎌倉女学院)の数学教師であった三角錫子が歌詞をつけました。
通勤の道すがら逗子開成中学を見ており、親しい弟たちのような存在とももらしていたということから、親近感もあり、遭難の報を耳にして涙に誘われ、一夜にして後世の人々の心に感涙を催す「真白き富士の根」の詩を作ったと言われています。

この歌の題名ですが、作詞者自身の題名は「真白き富士の根」です。その後日本国中で歌われるようになった後、映画化もされ、その頃から「真白き富士の峯」とも書かれるようになったようです。

逗子開成中学では、現在も追悼式が毎年行なわれています。

今回、このご紹介にあたっては、同校のHPを参考にさせていただきました。

真白き富士の根  作詞:三角錫子 作曲:ジェレマイア・インガルス
1.真白き富士の根緑の江の島   仰ぎ見るも今は涙       
  帰らぬ十二の雄々しきみ霊に  捧げ奉る胸と心     
2.ボートは沈みぬ千尋の海原   風も浪も小さき腕に       
  力も尽き果て呼ぶ名は父母   恨は深し七里ヶ浜辺    
3.み雪は咽びぬ風さえ騒ぎて   月も星も影をひそめ       
  みたまよ何処に迷いておわすか  帰れ早く母の胸に     
4.御空にかゞやく朝日のみ光り  暗にしずむ親の心       
  黄金も宝も何しに集めん    神に早く我も召せよ     
5.雲間に昇りし昨日の月影    今は見えぬ人の姿       
  悲しさ余りてねられぬ枕に   響く波のおとも高し     
6.帰らぬ浪路に友よぶ千鳥の   我も恋し失せし人よ       
  つきせぬ恨に泣くねは共々   今日もあすもかくて永久に

 

2005.8.26(FRI)

「江戸木遣り」

台風です。台風の音を聞きながら書いたこの伝票をさらに綴ります。

昨日登場した母方の祖父のことで思い出したことがあります。
今でもここでは正月には行われますが、 木遣りとともに梯子登りの芸を見せます。
祖父は、やりません。それをじっと見ているだけです。最後に整列させ挨拶するのが祖父の役です。

ここで歌われる木遣り。全国にありますが、いわゆる労働歌です。例えば大きな木を切る際、みんなで力をあわせる掛け声のように歌で行ったわけです。まず、1人、この人はリーダーだったりします。この人が一声あげます。いわゆるソロ、独唱です。その跡にみんなが続いて斉唱します。

木遣りは基本的には同じ旋律、つまり同じメロディーを複数の人が一緒に歌います(専門用語ではホモフォニーです)。その先導となるのは、リーダーで、まず、最初の一節を歌い、それに続くわけですが、 この最初の一節は、重要です。この人のメロディーによって、調性が決まり、テンポが決まります。

全国各地にありますが、私は不幸なことに江戸木遣りしか聞いたことがありません。
毎年の正月。母の実家に行き、その際に聞く正月の江戸木遣り。これがいつも新年でした。
悲しくもあり、神々しいかったのは、祖父の葬儀の出棺の際の職人さんたちによる江戸木遣り。この声には涙と感動がありました。
結婚式でも江戸木遣り。私のいとこの結婚式の最後に、登場。参列した職人さんたちによる木遣りは最高でした。

冠婚葬祭、いろいろな場面で行われるようになっていますが、実際には後見者が少なくなっており、すたれてしまった地域も多いようです。

いやいや、これは粋ですよ。あの声、節回し。なかなかそう簡単にはまねできないのだそうです。
機会がありましたら、ぜひ、一度お聞きください。

 

2005.8.25(THU)

「台風の思い出」

台風です。珍しく直撃です。

台風といえば、昔はもっとたくさんあったように思います。というか、今ほど高層ビルもなく、自然災害の影響を家庭でも受けやすかったせいでしょうか、もっとなにか深刻だったように記憶しております。

子供の頃、今夜は台風が来るとなると、我が家は一大イベントのようでした。
まず、窓に新聞紙を細くたたんで窓の間に入れたり(窓が風でガタガタいわないようにするためです。今のようにサッシではありませんでしたので)、お風呂は早く沸かして早く入り、早めの夕食です。
ろうそくも準備します。

いよいよ台風登場!すると停電。10分もすれば電気はつくのですが、時にはこれを何回か繰りかえします。

今はあまりありませんが、台風というとほぼ毎回、停電でした。
ろうそくの火の中でご飯を食べたり、お風呂に入るのはちょっとキャンプのようでした。ただ、エアコンなどありませんので蒸し暑かったのを覚えています。扇風機も止まってしまいますから。テレビも消えますから雨と風の音だけが聞こえる静かな時間でした。

同時に、その頃は今よりもずっとすぐに電車が止まってしまいました。山手線や総武線は特に簡単に止まりました。送電所が弱かったこととやはり技術的にもまだまだだったのでしょう。幼稚園の頃はもっとひどくて、最寄り駅の私鉄はちょっと風が強いとすぐに電車は止まってしまいました。なんといっても駅は土が盛ってあるだけの駅で昼間は1両、朝夕のみ2両という電車でしたから(あー、すいませーん、ぜんぜん田舎ではありませんよー。いわゆる東京ベッドタウンと呼ばれた最初の頃の場所です)。
台風というと、父は必ず家にいませんでした。消防とか警察とか役所の人ではありません。通常のサラリーマンです。 何をしているかというと、帰れるかどうかわからないのだったらおさまるまで飲んでるというやつです。今考えるととんでもないです。家族の心配よりも飲みに行っている訳ですから。したがって私の子供頃の記憶の中で台風で家族全員が揃ってなにか静かに過ごしていたり、ろうそくに火をともしたという記憶はあまりありません。あってもそれは父が休みの日曜日だっただけです。

今日テレビでもインタビューを受けていたサラリーマンが同じように過ごすと言っておりました。おそらく、それを見た家族は激怒してるか、呆れているでしょうね・・・。
幸い、父はテレビのインタビューを受けたことはありませんが・・・。
母は、私たちには何も言いませんでしたが、おそらく心の中では早く帰ってきてほしい、無事に帰ってきてほしいと願っていたに違いません。
で、当の本人は嵐が去った後に良い気分で帰ってくるのですから、そりゃ、その後は大変だったことでしょう。

一方で、母も結婚前までは、台風の時に父親(つまり、私の祖父です。この祖父は以前に登場した江戸っ子」の祖父ではありません)が家に居たことはなかったと言います。飲んでいたわけではありません。
地域の消防団に入っており、母が物心付いたときにはすでに団長だったと言います。私も団長の姿を知っていますから、 ずいぶん長い間、団長だったわけです。
そこで台風となると、自分の家よりもまず、地域を守るわけです。母の実家は隅田川と荒川に挟まれています。水が出る心配さえあります。そこで祖父は、早々に仕事を切り上げてでも消防団の半被を着て出かけて行くわけです。時々、見回りのついでに自宅により、何か変わったことはないかと聞いてはすぐにまた団にもどり、またある時は最新情報を伝えに来てはすぐに居なくなりだったそうです。
そんな姿にいつも母の母(祖母)は「肝心な時にはいつもいないんだから」と漏らしていたそうですが、お役目も理解していたことでしょう。実際にはどれほど心配していたことか。(お二人ともすでに亡くなっておりますが、今でもこの話はみんなが集まると話題になります。)

今日の映像でも映りましたが、災害時にそういう係りや仕事でご活躍される方々にも、当然ご家族があるわけです。しかし、使命というか仕事というか、家族を置いてでも向かわなければならない、その心情には察するものがあります。残されたご家族も同様です。
新潟の地震災害でもそうでした。24時間体制で勤める市役所や役場の職員さん。家にもう3日も帰っていませんと言ってましたが、なにが一番きになっているかというと自分の家のことでしょう、家族のことでしょう。しかし、それを最優先にできない辛さがあるわけです。

そういう方の心は非常に尊いと思います。 いろいろな事情があるとは思いますが、それに対し、対応が悪いとか、なにもしてくれないとか、そのような批判ばかりが目立つような気がします。
その方にとってはもっと自分にとって心配なことをあえて手放してでも任務についているわけであり、自分のことだけを考えて言うだけではいけないのだと痛感します。

雨と風の音を聞きながらの一時。これもまた一興なり。

 

2005.8.15(MON)

「いろいろなお盆の思い出」

前回、私の祖父の思い出をちょっと書きましたが、まだまだあります。
それはまたの機会にして、今日は別の話題です。

ある方のお盆とは、「すいとん」だそうです。
この話は意外とたくさんの人から聞きます。

毎年8月15日は「すいとんの日」という人です。
お盆で親戚皆が集まったこの日、必ず正午に黙祷をし、その後すいとんというのがこの家の慣わしとか。
これはお盆ということだけでなく、いわゆる終戦の日に合わせた家庭内行事でしょう。

高校野球に夢中になる大人たちを尻目に、子供達はテレビを占領され外で遊んでいて、そろそろお腹がすくお昼時、家に帰るといい匂いが。やがて碗に盛られて食卓に並びます。「食べていい?」と聞くとまだ駄目!の声。
やがてTVでは、高校野球が中断され、正午に!サイレンとともに一斉に1分間の黙祷。この1分が長かったそうです。考えてもみればそうですよね。お腹をすかして帰ってきて、いい匂いがしている食事を目の前にしてお預けですからね。黙祷が終わるとみんなでいただきます!

いまでも8月15日はすいとんの日とその人は言います。必ず食べるのだと。

それは、戦後残された人や私のように生まれた人にとっての忘れてはいけない行事なのかもしれません。

本来「すいとん」とは、終戦直後の食糧事情の悪い時期に簡単に作れ、暖がとれ、空腹を満たす目的で野菜等の入っていない汁、または湯にすいとん(水団と書く。小麦粉や当時は今のような小麦粉はかなり贅沢品であり、一般的には粟や稗などの穀物を粉に挽いて水を加え団子状にしたものを茹でたもの。もしくは煮た団子の意)を入れたものが炊き出されたものです。
今、すいとんをいろいろな野菜や肉とともに煮込んでだす料理になっていますが、もともとはそういう料理ではありませんでした。
私の父もすいとんは好きで、季節を問わず、よく食べましたが、結構いろいろな野菜や肉などが入り、豪華なものでした。しかし、それは「水団」ではなく「すいとん」のなでしょう。

いずれにせよ、それぞれの家や家系での伝統とか、しきたりとか、慣わしとか・・・、大事にしたいという思いがつのります。よく正月の雑煮やおせち料理でもめる話を聞きますが、いいじゃありませんか。そういうことこそ、文化なんです。

今日ですか?私もすいとんをいただくことにしました。
この際ですから2種類作ってみました。
1つは本当の水団(でも小麦粉でした)。もう一つは今風のすいとん。
こういう行為って、大切だなーとしみじみ思います。

ついでながらに、もう一言!
昨日の三代続かないと本当の江戸っ子ではないという話から、以前聞いた話を思い出しました。
それは京都でのこと。京都でも三代続いて初めて老舗と呼ばれるとか。
そこで京都は有名なおかまバーのママさん曰く、「うちの店は古くからやってんだけどねー。老舗にはなれないのよー。三代続かないと老舗にはなれないの。続くわけないでしょ!だっておかまよー、わたしー」。
なるほど・・・。確かに・・・・。

 

2005.8.14(SUN)am2:30 今日は多分晴れ、でも一時にわか雨かも

「お盆に思う祖父のこと」

今日はついでながらにもう一つ。

我が家には父の父(つまり私にとっては祖父)の仏壇があります。祖父はちゃきちゃきの江戸っ子であったため、我が家では東京式に7月にお盆を行います。江戸っ子であったためにそうするというのも本来変な話で、7月にお盆を行うようになったのは戦後だいぶ後になってからのようですが、我が家は昔からそうです。

祖父は、今も生きていたらそりゃ格好いい江戸っ子です。よく落語や芝居に出てくるあの江戸っ子を絵に書いたような人でした。還暦を過ぎてから手刷りの職人として、東京都の伝統職人文化財のような人としてなにやらいただいた人でしたが、もともとはいわゆる任侠道の人でした。若気の至りで左肩から二の腕にかけて怖い般若の絵なども入れておりました。
もっとも私が物心つく頃には、そんな絵を見せるのが恥ずかしかったのでしょう、夏でも腕まくりをすることはあっても、半そでを着ることは無かったし、風呂に入るときも左肩から腕にはいつも手ぬぐいを掛けて隠していました。

私が小さかった頃は、祖父の家に行くと、必ず銭湯に連れて行かれました。銭湯にいくと湯上りに祖父がジュースやアイスクリームを買ってくれるんです。それが楽しみで行っていたようなものです。
ただ、苦痛もありました。
まず、熱い風呂に入らなければいけないこと。熱くなければ風呂じゃない!といって身体が真っ赤になるくらい熱い風呂でも絶対に熱いと言わない、まさに歯を食いしばっても「ちょうどいい」と言います。
問題は、そこに一緒に入る私です。「水でうめるなんざーするもんじゃねぇー」とか言われて熱くても我慢です。我慢して入ると「えらいねー!」。すでに私の身体は真っ赤です。
もう一つの苦痛は、アイスクリームとかカキ氷を早く食べなければいけなかったこと。子供ですからそう早く食べられません。しかも冷たいし。それでも祖父は我慢していたのでしょうが、しばらくすると「もう行くぞ!」になってしまうんです。食べ終わるまで待ってくれません。

祖父が銭湯に行く時間は、いわゆる一番風呂の時間、つまり開店と同時に行くわけです(当時は夕方4時に開店)。自宅での職人でしたからそういう習慣があったのでしょう。
その時間に行くと、みなさん、身体に絵が書かれていらっしゃる方ばかりでした。時間が時間ですから若い人はいません。 祖父と同じくらいの年齢の方ばかりです。同じ時間に同じ顔ですから、祖父にもいろいろな方から声がかかります。ついでに私にも話しかけてくれます。話しかけられた人の中には背中から腿にかけて全部絵が描いてある人もいました。その人の背中を流してあげたこともあります。
そのころ、私は信じていました。人間、ある程度年齢を重ねると身体に絵が浮かんでくるのだと。私の父はまだ若いから絵がないのだと。

銭湯に連れて行ってもらうもう一つの楽しみは帰り道です。祖父の家の斜め前にすし屋があり、必ずそこに立ち寄ります。本当に斜め前、しかも車が1台通れるくらいしかない道の斜め前です。私と一緒だろうが一人だろうが、銭湯の帰りにここによるのが祖父の習慣です。
店に入り、席に座ると黙っていても冷のお酒が一合とマグロの握りが1カン(今は握り1つを1カンと呼びますが、本来は2つで1カンです。それは昔はもっとネタが大きく、それを食べやすいように2つに切って出していたことから2つを1カンと呼ぶようになりました。ちなみにカンとは巻と書きます。)が、出てきます。それだけを食べ、飲んで帰るのです。さすがの私も、まだお酒は飲めない幼稚園から小学校低学年ですから、出てくるのはジュース(多分リボンシトロン=なつかしー)です。 「何がいいかな?」と祖父は聞いてくれますが、何があるのか判りません。なんと言っても祖父はちゃきちゃきの江戸っ子です。気が短いですので、考えているうちに勝手に答えを出してしまいます。「卵がいいかな?そうだ、卵だな」そういうと勝手に1カン出てきます。でもおいしかった。
ある時、私は勇気を持って言いました。「まぐろ!」と。その時の祖父の笑顔は覚えています。「えらいねー!」と言って、私がマグロを頬張ると「うまいか?うまいだろう」とうれしそうに言っておりました。
不思議と帰りにはお金を払いませんでした。つまりツケなんですね。昔ながらで月末にまとめて支払うシステムだったわけですが、当時の私はそんなことを知る良しもありません。いつもサービスなのだと思っておりました。

祖父はよく「えらいねー!」を言いました。
蕎麦を食べる時は、特に食べ方にはうるさい人でした。まず、汁物(お汁に入っているもの、かけそばとか)はだめ、蕎麦が伸びちまう。ざるかもり、しかも汁(つゆ)に蕎麦をどっぷりつけると怒られましたから。「こうして先のほうだけつけて食べなきゃいけないんだ!」と。さらにゆっくり食べるのもだめ。一気に食うものだと。子供ですから蕎麦の味なんてわかりません。何の味もしない(と思っていた)麺を食べることと早く食べなければいけないことは、ある意味では苦痛です。
でも、大好きな祖父を真似したくなる年頃、ある時に先だけにちょっと汁をつけ、一気にズルズルと音を立てて食べた時、やはりうれしそうな顔で「えらいねー!いい音だ。そうやって食べたほうがうまいだろう?」と言っていましたっけ。今でも蕎麦は、そうやって食べています。そうするものだと思っています。蕎麦好きの方のほとんどの方がそうしているところをみるとそれが本来の味を味わう方法なのでしょう。 20歳を過ぎる頃からそうしたほうが蕎麦本来の味がしておいしいと思うようになったのも理由の一つですが(但し、これにも江戸っ子のやせ我慢という話もありますが)。

夏の祖父の格好は、着流しか浴衣に雪駄。
蕎麦が好きで、 寿司が好きで、銭湯が好きで。短気で、正義で、子供が好きで。酒が好きで。見栄っ張りで、格好つけてて。 なんといっても気風がよくて、粋で。

江戸っ子とは、3代続いていなければ江戸っ子ではないと言います。
そういう意味では、今はその東京ではありませんが、生まれからすると正真正銘の江戸っ子って奴です。
だから江戸っ子気質なのでしょうか。

残念ながら、祖父とは酒を酌み交わすことは出来ませんでした。それが残念で仕方ありません。今は墓前で年に1〜2回酌み交わしています。

私の尊敬する、大好きな祖父。ああいう格好いい人になりたいと思っています。
まだまだ、祖父の思い出やとんでもない話はたくさんありますので、これからも時々書かせてもらいます。

 

2005.8.14(SUN)am2:00 今日は多分晴れ、でも一時にわか雨かも

「お盆でビッグビジネスをした人」

お盆です。
以前も伝票に書きましたが、江戸花火の最初である両国花火大会は、亡くなった方の供養のための催し。従って各地での花火大会もこの時期に行うのは、本来の意味からすると正しいわけです(もっとも最近のものは、ちょっと違う理由でこのアタリに設定されているようですが)。
青森県のねぶた祭りやねぷた祭り(誤植ではありません。この2つは明らかに違います)もこの時期に行われるというのもお盆との関連性からです。

お盆と言えば、東京では7月15日に行う家も多いということも以前書きました。私の住む地域では面白いのは7月と8月の2派に分かれます。従ってお店では2月間お盆用品が売られています。半分東京、半分地方ということなのでしょうかね。

さてさて、お盆の際に仏壇に飾られる胡瓜や茄子に足をつけて馬に見立てたものを昔は送りとして川に流していました。今は都内でそうする人はおりません。一部再現として行うようですが、ちょっと先で回収します(川の環境を守るため)。一部地方ではまだ行われているようですが、やはり回収しているところが多いようです。
同じように馬ではなく、灯篭を流すところもあります。また、大きな船をつくり、それを流すところもあります。
話を戻して・・・、昔々、お盆が終わると川の河口ではこの胡瓜や茄子がたくさん流れ着きました。今ほどの人口があったわけではありませんが、各家々で流すのですからそれでも相当の数です。

それを見てもったいないなーと思う人がおりました。今でいうビジネスチャンス、よく言えば再利用です。
その流れ着いた胡瓜や茄子をとり、細かく刻んで佃煮のように甘辛く煮てみまして、不謹慎極まりない行為ですがそこは商売人、ちょっと縁起を担いで(そりゃそうでしょ、縁起くらい担がないとバチがあたるかも) 、「福」という文字を商品名につけて売り出したところ、爆発的に売れ、現在に至っているというのが「福神漬」です(もっともこの説は一説であり、奉納祭りで使われた野菜を使ったと説もあります)。
その後、都内の川も汚れてきてきたこともあり、それを回収して回る人がいたとも言います。「お迎え、お迎え」と言いながら家々の前を回り、胡瓜や茄子を回収し、福神漬作りの材料にしていたり、自分の食い扶持にしたり(これは昔の話ではありません。私の父がよく「お迎え」屋に渡した話をしますので。私の父は昭和4年生まれです。)

最近「もったいない-Mottainai-」を世界に広げる運動が起こっています。
単にビジネスチャンスとして考えた、その発想にも感心しますが、こういうことをいつの間にか忘れてしまったのかもしれませんね。

 

2005.8.9(TUE) pm4:00 晴れ時々曇りで蒸し暑い

「私の大好きな長崎のこと」

60年前の今日、長崎に原爆が投下されてしまいました。広島に続いて世界で2つ目の原爆。それ以降ここまでの原爆は実際には投下されていないわけで最後の原爆なのです。今日も暑い中、長崎では平和を祈り、原爆で亡くなった方々の供養のための式典が行われています。

かつて、私が長崎を訪れた日は、まさにこの日でした。憧れの長崎への一人旅でした。
11時2分。長崎の街中のサイレン、湾に浮かぶ全ての船の汽笛が一斉に鳴ります。
そして、街を歩いている人々は、その場で立ち止まり、中にはその場で道路に倒れるように寝そべる人、うずくまる人もいます。車は路肩に寄り止ります。路面電車もそのまま止まります。その間、動いているものはその状況を知らない観光客だけ。この風景に私は度肝を抜かれました。最初何が起きているのかわかりませんでした。そう皆あの日のあの時のために1分間の黙祷やその時の状況になろうとしているのです。
私はその様子を駅前のホテルの1室から見ておりました。
そして、 この静寂さ、そしてほぼ全員が動かない情景に戦慄さえ覚えたものです。まことに不謹慎な話ですが、その様子がまさに原爆が落ちた瞬間の人々の様子のように思えたからです。今動いているのはもしかしたら自分だけなのではないだろうか?そんな気がしたのです。

昼間の時間にすべてが1分間止まる情景など他では考えられません。

ともかく、その姿を見た時、戦慄を覚えたのと同時に「あ〜、長崎の人は長崎の街を愛しているのだな〜」と感じました。もちろん立ち止まって黙祷をしている方の中には、その身内の方を原爆で亡くされた方もいるだろうし、必ずといっていいほどなんらかの関わりを持っている人たちなのだから、当然といえば当然なのかもしれません。でも単にそういうことではなく、長崎を愛する人によって長崎という街が今あるのだと率直に感じてしまったのです。

その日の夜だったか、翌日だったか、夜に稲佐山にロープーウェイで登りました。夏の長崎ではこの稲佐山からの夜景を楽しむためロープーウェイが夜も運転されています。そこで知った事実。それは、この街の夜景、つまり街中の明りによってまるで宝石箱のような神秘的で美しい光の輝きは、実は長崎の街の人たちによって作られているということです。
日本全国に夜景の素晴らしい場所はたくさんありますね。有名なところでは函館の100万ドルの夜景とか六甲山からの夜景とかいろいろあるけど、なにかこの長崎の夜景はちょっと違うのです。街が大きくなくすぐ向こうには海が広がり、その左右は半島になっているためまさに眼下に広がる宝石箱。その向こうには海に浮かぶ船のあかり。 そんな立地条件だけではなかったのです。
何が違うかというと夜景を作るために、夏の間は夜各家庭で電気をつけましょうねとお互いに申し合わせて、この夜景を作っているのだといいます。もちろんこれは条例でも法律でもなく、いわば街の人たちによる自主活動なのです。つまり一つ一つの灯りが小さいのです。だからこんなに細かくて綺麗なのです。

自然と涙があふれてきた風景でした。風景をみて涙が出るなんてことは普段ありません。もしかしたら最初で最後の体験かもしれません。
あ〜、ここにも長崎の街を愛する長崎の人達がいるのだと感動しました。

それからというもの、長崎という街が大好きになってしまいました。実に坂の多い街であるし、洋館もたくさん残っていたり、面白い文化がある。たくさんの教会もいい。ちょっとした小道もいい。

勝手な長崎好きで、さぞや長崎の方にはいい迷惑だと思いますが、そんなわけで長崎の今日、ふと思い出したわけです。

今も長崎は同じでしょうか?黙祷で皆止まりますか?稲佐山からの夜景は同じでしょうか?
もう10年以上前の出来事ですが、この日はその情景を毎年思い出し、またいつか行きたいと思っています。

 

2005.8.7(SUN) pm7:30 大晴れで暑かったさ〜

「音だけの花火はつらいっす」

今日の伝票をみなさんが楽しみにしてくれていると聞き、気をよくしてもっと書こうかと思うと、本来の今日の伝票のページには同じ日付では1つのコメントしか書けないことが判明。
ならば、別ページをということでこんなページを増やしました。

さてさて、昨夜と本日、我が家では花火大会の音が聞こえています。
昨夜は2箇所、本日ただいま1箇所。
昨夜の1箇所は2階のベランダから遠くに見え、小さいけどちょっといい感じ!
でも、昨夜のもう一箇所は最も近い場所でありながら家々が邪魔し、見えません。音は激しく聞こえます。どーん!どーん!家々に隠れた向こうのそらが赤くなったり、白くなったりしているのに、かんじんな花火が見えません・・・。

そして今も。今は昨日見えた場所よりももっと近くにあるのですが、その途中に大きな木が茂っていて、ちょうどその向こう側なんです。だから木の葉越しにうっすらと見えるだけです。おお、今もいい音で聞こえていますが、やはりチラッと赤いものがある程度。
除夜の鐘は音だけで楽しめるのに、花火はなんとも不完全燃焼になってしまいます。

これほど悩ましいものはありません。なんかムズムズしますね。
だったら会場に行けばよいと言うかも知れませんが、混んでるから嫌なんです。

超わがまま!


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