Rei Katoのことを思うといろいろなことが思い出される 今ではまるで、それは淡い雪のなかの出来事のよう
Reiとの思い出の日々
いやいや、決して思い出ではありません Reiの残した数々の事実が今の私に、多くの人々に影響を与えたと言っても過言ではないでしょう。
そんなReiとの会話やReiの姿を少しづつ思い出してみたいと思います。
2005.10.13 回想10 Reiからの年賀状
人は、その環境や状態によっていろいろな心情になるものだ。 Reiからの毎年送られてくる年賀状が楽しみだった。そこには必ずReiの作品が載っていて、そこに書かれた言葉が懐かしいものだったからである。作品といっても特別なものではなく、年賀状用に作られた、そう当時はまだPCで書かれたものではなく、木版画で、言葉も一緒に刷り込まれていた。 北の大地をおおう雪が・・・とか、おだやかなお正月を迎え・・・など、何気ない挨拶が書かれているのだが、それが絵とともにとてもやさしいのである。 ある年の年賀状から、その言葉が少し変わってきた。自分の心情を表すようになってきたのである。「今年1年間生かしてもらったことに感謝し・・・・」というフレーズの時には、まさか・・・と疑ったもの。 それから数年間は、そんな言葉が多くなった。そして、その中で、必ず「感謝」という言葉が使われている。 いつでも感謝の気持ちなのであろうか、はたまたこうしていられること自体に感謝なのであろうか、生きることに対しての感謝、年賀状を出せる相手がいることへの感謝、いろいろな感謝があった。 おそらく、その感謝の裏側には、病気のことが大きく左右されていたであろうことは言うまでもない。 暗い色を使った書いた絵は、嫌いだと言っていたっけ。それは自分の体が調子悪い時に書いた絵だから。そういうときには、いい色が出せない。だから嫌いだと言っていた。 絵や文章には、そのときの心身の様子が表れる。年賀状はまさにその典型であった。
2005.7.4 回想1 最初の出合い
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