2005.7.4 回想1 最初の出合い
そう、初めてReiに逢ったのは、小学校2年生の時。同じクラスにいた女の子がReiの主催する絵画教室に通っている話を聞き、ボクも行きたくなり、初めての習い事として教室に通うことになった。 翌週行くと、なぜかボクのライオンの絵が飾ってあった。
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中学校へあがり、学校がなにかと楽しくなってくると教室に通うのがちょっと億劫になってくる。ちょっとした反抗期?
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小学校の4年生になると油絵を描かせてもらえるようになった。そういうシステムだったのか希望者だけがそうなのかはわからないが、ボクは喜んで道具をReiに揃えてもらった。 あるとき、たしかそれは外での写生後、教室で書いた時のこと、どうしても土の様子をもっともっと立体的にしたくて、いろいろ考えたあげく、本物の土を絵の具に混ぜたらいいのではないかという案が浮かんだ。確か、それは5年生だったと思う。Reiは何も言わないことをもうわかっていたから、その方法が正しいかは聞かない(どうせ聞いてもニコニコしてるだけで教えてくれないし)。でも黙って教室を出て行くわけには行かないので、ちょっと外に出たいと申し出た。 PS.今だから白状します。当時、パレットナイフを紙を切る時にカッターナイフの代用に使ってました・・・。これもOKだよね。
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それは、突然だった。 2年前の今日であることを実はつい最近知った。具体的な月日がわからないでいたのだ。 なんとも無責任な話であるが、具体的な日を何度思い出そうとしても出てこない。 Reiは身体が弱かった、特にそれは心臓であったこともあり、たびたび心配はしていた。 電話の向こうではNoriさんの懐かしい元気な声。そこで「Reiさんが倒れた」と。 それからのボクは、まずインターネットで室蘭までの道のりを探る。宿は?病院はわからない、でも現地でNoriさんに連絡すれば大丈夫だろう。飛行機は今からだったら間に合うか・・・。おお〜、インターネットでは当日予約が出来ない! 結局、行かれなかった。 そこで、即刻お見舞いのぬいぐるみと手紙を送った。 遅かった。 確かその後、連絡を貰ったように記憶している。でも実はそのあたりからの記憶は、ぼんやりとしていてよくわからないのが正直なところなのだ。 あー、これはこれでよかったのだと自分を納得させる意味でもそう思った。 実は、もしもReiに、もしものことがあったのなら、何をおいても行かなければいけない!とずっとずっと思っていたのに、実際にその場面になり、それが出来ずに・・・。でもあえてそうしなさいとReiが言ったように思っている。 その後、ボクは直ちにReiに手紙と餞別を送った。自由な旅行にいってらっしゃいと。 「Reiのこと」は、そういう話題を書くコーナーではない。 今もPCの横にはReiが優しい笑顔でこちらを見てくれている。実はこれはNoriさんの真似なのである。 Reiは今も自由な絵を書き、自由に飛び回っている。 いつもNoriさんと一緒にいる。 ボクはこうして書いているが決して懐古主義でこのコーナーを運営しているわけではなく、いいものはいいと言える事実を記したいだけなのだ。 そう、ここにはそうした事実がある。Reiが今いることもすべて事実なのだ。
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Reiと知り合ったのが小学校2年生の時。そして、その後離れてしまって、再会したのは確か35歳を過ぎていたと思う。 Reiは嫌いと言ってたけど、ボクはその絵が好きだった。 そうそう、以前に書いたなぜ何も教えなかったかということを、この日初めてReiに告白した。そして30歳を過ぎてからその理由がわかったことも。そうしたらReiは「随分とわかるまで時間がかかったわね、普通は小学校の高学年でわかるわよ」と笑って言った。 それから何年かして突然メールが来た。 メル友の内容は、いろいろ。 お互いに長いメールが得意(?)だったなー。ついつい長くなってしまうのだ。 あるときにReiは言った。 いつもながらにReiの言葉は深いと思った。 きっと、メールを打つのにも結構時間がかかっていたのではないだろうか。一文字打つのにもキーを探し、ひとつひとつ打っていたんだろうな。手書きなら楽なのに。でも、Reiはそれにチャレンジして、それはそれで面白いと言っていたっけ。 あるとき、Reiが言った。こんなに遠くに離れているのにまるで隣で話をしているようだねって。 いつだかの仕返しのつもりで!
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北海道に逢いに行ったときのこと、昔話に花が咲いた。 まあ、こちらもそれ以外の話についてはこうして回想録を書いているのだからそんな昔のことをよく覚えているねなのであるが。 とにかく周りの人に気を使ってくれる人だった。 ちょうど、ボクが教室に行き、絵を描き始めてしばらくすると、ご主人が出かけていく。玄関まで送るReiがいる。 やがて、そう中学生になって勝手に行っていた頃になってジャズピアニストであることを知り、納得したような次第です。
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Reiのことを思い出そうとするとReiはいつも笑っていた。 Reiが声に出して笑う時、それは本当に声に出して笑うのだ。おかしくて仕方がないと言わんばかりに笑うのだ。小さな身体を思いっきり全身で笑うのだ。 ボクは思う。そうした動作が果たして今のボクに出来るだろうか。 Reiが教えてくれたことを時々思い出す。でもそれは決して言葉によるものではなく、ましてや強制ではない。自らの態度や顔の表情などによってである。 教室に行ったとき、最後に油絵の具をパレットからふき取り、筆を洗いそれを新聞紙に擦り付けていく。その新聞紙を丸めて専用のゴミ箱に入れるのであるが、ある時、その新聞紙の丸まったものをさらにもう1枚の新聞紙で包んで、その両端をそれぞれ絞ったようにした。大きなキャンディーの包みのようなものが出来た。それを見せるとReiがたいそう喜んで、うれしそうにしてくれた。そのとき以来、最後の片付けはいつも巨大な新聞紙のキャンディーの包みだった。 そうそう、Reiのところには、犬がいたっけ。小さいキャンキャン鳴く犬だった。でもボクが行くといつも尾っぽを振っていたっけ。 変なもので、今頃そんなことを思い出すものなんだ・・・。
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もう8年くらい前だったろうか、Reiに再会した。 その旨電話をすると、そりゃ大喜びしてくれた。 当日、あいにくの雨。その1週間前に台風が通過し、その後も愚図ついた天気。なんとか車を走らせた。 あらためて思うと、案外そういうところはあった。そしてその思惑が外れるとたいそう残念がる。しかし、思惑が当たるとそりゃ大喜び。そういう面があったな。 かくして、日を改め室蘭に向かう。場所はすぐにわかった。駅前で電話すると本当にわかりやすく教えてくれた。 このとき初めて知ったことがある。こうして何年もしてもなお、Reiを訪れる人はボクだけではなかったということ。
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小学校4年生になった時から水彩画から油絵になった。ボクが希望したと言うよりもReiのところではみんなそうしているらしい。 そうなると、なんでも油絵でということになりがちである。しかし、学校での図工の時間で絵を描くときは水彩画。こうなるとなんとか水彩画でも油絵のような重厚感を出すように努力してしまう。厚塗りして重ね塗りして・・・。そのうち表面はガビガビになってきたりして・・・。 いつの間にか水彩画を馬鹿にするようになってしまった。なんと哀れなボク。 あるとき、Reiは教室で水彩画を書かせた。今回は油絵じゃなくてねと。 完成して、Reiにいつものように見せた。絵に対しての評価は例によって何も言わない。 でも、そこで言われたことははっきり覚えている。 もうひとつ、「好きならなぜ好きか」「嫌いなら何が嫌いか」をきちんと説明できなくてはいけない。なんとなく好き、なんとなく嫌いが一番いけないとも言われた。 そのときは、別に深く思っていなかった。小学校2〜3年で水彩画、4年生から油絵、ちゃんと両方やって、油絵がすきなんだからいいじゃないかとか、ちょっと反抗的に思っていた。 あのときのReiの一言は、当時のボクに対する警告だったのだ。 この「いろいろなものを試してみてそれから決めること」「なぜ好きか、なぜ嫌いかを言えなければいけない」という2点は、その後大人になってから非常に影響を受けたことで、感謝である。 きっと、あの時、Reiは見抜いていたんだろうなー。
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